プロフィール

はじめまして。nyamaと申します。

長野県でSE(システムエンジニア)やってます。スノーボードとゲームが大好きなアラフォー、一児の父です。

SEというと都会的なイメージを持たれる方が多いと思いますが、私の住んでいる場所は長野県上田市という東京から少し離れた田舎です。

仕事柄、IT業界の知り合いや友人が多く、また東京で働く地方出身者も多いのですが、そこでよく耳にするのが「地元に帰りたいけど、戻ったところで仕事がない」と嘆く人たちです。

私は10年前まで東京で働いていて、結婚を機に地元・長野に帰ってきました。

当ブログでは、地方のエンジニアってどうなのか、私の実体験をご紹介しつつ、さらにシステム開発に役立つ情報や、地元・長野についてのこともご紹介していきたいと思います。

 

ITの世界で食っていけるという自信をつけた新卒時代

大学卒業後、東京都内のとある保険会社の子会社にてシステムエンジニアとして採用いただきました。そこで保険会社のシステムには一切関わらず、自社のパッケージソフトの開発に携わりました。

開発言語はC言語。最初にして最大の難関という感じですが、構造化設計からメモリやポインタの扱いまで、およそコンピューターの基礎知識というべきものはここで吸収したと思います。

最初は言われていることがよく分からず、プログラムを組んでも設計しても、先輩によく怒られていたのですが、あるとき急に「分かった」という感覚が訪れました。

そこから自分はこの世界で食べていけるという自信が沸いたように思います。

ちなみに残業はひどかったです。終電にも間に合わず、日付が変わってタクシーで帰るという日も多かったですね。今考えると、若いからがんばれたとしか思えません。

 

給料が出ない恐怖を味わう

上述の会社で3年くらい働いた頃、その会社の先輩が独立するというのでお誘いを受けました。仕事が飽きてきたのと、おもしろそうだという理由だけで深く考えずに退職してついていくことにしました。

しかし、あまりに無計画すぎたか3ヵ月で倒産の危機! 「今月は給料出せない」と言われた時はショックでした。。

仕事は面白かったのですが、貯金がほとんどなかったこともあり、このままじゃ生活できなくなってしまうということで、急いで別の仕事を探すことに。

ここもスタートアップにありがちな話で、残業休出は当たり前でした。まあ、楽しかったからいいんですが、事業計画とかキャッシュフローとか、資金面に関心がなかった自分がいけなかったことが敗因だと考えてます。

 

SEOアクセス解析をがんばったWeb制作会社時代

せっかくなので、かねてより興味のあったWebを学ぼうと横浜のWeb制作会社に入社。そこではWebディレクターとしてサイトの設計から運用まで担当しました。

Webの制作現場には、大きく分けて私のようなエンジニアあがりの人と、デザイナーあがりの人がいます。ベースとなっているキャリアによって得意、不得意が分かれやすく、デザイナーの人はいろんな事のビジュアル化がうまいです。対して、エンジニアの人は情報設計やアクセス解析などのデータの扱いが得意な人が多いです。

私もその例に漏れず、SEOアクセス解析の方がとっつきやすく、それをメインとした案件を多く扱いました。PhotoShopIllustratorも扱えるようになりましたが、それとデザインセンスはやはり別物だということも痛感しました。

 

そして、長野へ

Web制作の仕事はおもしろかったのでもう少し続けたかったのですが、祖母が体調を崩してしまい家族のフォローが必要となったため、長野に戻ることを考え始めました。その時ちょうど結婚する時期とも重なりまして、これもタイミングだと思い戻ることにしました。

田舎に帰るにあったって職探しをしなくてはいけません。とりあえずリクナビに登録してみましたが、当時はSEを対象とした案件は東京近郊にしかなく使えませんでした。(10年前の話なので、今はどうか分かりません)

そこで「上田市 システム開発」といったキーワードで会社を探し、会社のサイトから直接応募して、内定をもらいました。

Web制作会社も探してみたのですが、当時は私の実家近辺にはほとんどなく断念しました。

 

プロジェクトマネージャー、プレイングマネージャー

長野では10年間、主にプロマネの仕事を担当。自社製品からWebアプリ、組み込み製品と、扱うものはその時々で変わっていったのですが、基本はスケジュール管理や品質管理をこなしつつ、自分でも作るというプレイングマネージャー的なスタイルで仕事をしてました。

 

そして現在。社内SEとしてシステム導入を担当

プロジェクトマネージャーは一般的に見れば難易度の高い業務でやりがいもあると思うのですが、さすがに10年も続けるとマンネリ化してきます。ある程度の問題に対する解決策が自分の中にできちゃって、難題と思える事柄が年々減ってきたことも関係していると思います。

新しい技術を学んでいく必要性は感じていますが、年齢が40歳に近づいてきて期待されるのは、新しい言語やアーキテクチャの知識ではなくもっと別のことだと思います。(学ぶにこしたことはないですが、優先度が低いというのが私の考えです)

作る側の仕事はいろいろとやってきたので、あとは使う側の思考が分かればコンサル的な仕事にもつながっていくかなと考えまして、現在は製造業の会社で社内SEとしてシステム導入の仕事をしています。

 

長野県のエンジニア市場について思うこと

社内SEになって1年。依頼者の立場でさまざまなシステム会社の人と関わるようになりましたが、その中で長野県内のエンジニア市場について分かってきたことがあります。

基本的にSEはどこも人手不足なので需要は多いです。しかし、多くの企業では顧客が東京方面に集中していることも関係し、仕事のために人を東京に出してしまうことが多いように思います。長野県のシステム開発会社だからと言って、県内にエンジニアが多いかと言われるとそうでもないということが分かりました。

またシステムの発注者側も、県内にあまりエンジニアがいないという状況が分かっているため、結局東京の会社に依頼を出すことになります。

県内にエンジニアがいない→東京に依頼を出す→東京に仕事が集中する→東京に人を送る→県内からエンジニアが減る、という悪循環になっているように思います。

これでは県内でエンジニアも育ちませんので、どうにかITを地産地消の形にできないかなと考え始めました。

 

このブログで多くの人と知り合い、そして長野県のIT業界を少しでも盛り上げていけたらいいなと考えています。

よろしくお願いします!